「早食い」をすることは肥満や糖尿病などの健康問題につながる。早食い防止には、食事中に箸を置き、食事のペースを落とす方法がある。しかし、箸を置く行為自体は無意識であることが多く、箸を置く回数を増やせるかは当人の意識次第になってしまう。
そこで、箸を置くきっかけを作る箸と箸置き「置いて見る箸」を提案する。この箸は、手の温度で変色する示温材料で虹が描かれた箸である。箸を持ち続けて示温材料の温度が上昇すると、変色が始まり虹が徐々に消える。箸を置くと、示温材料の温度が下がり、虹が再発色する。持つ時間を可視化して箸を置くきっかけを作り、置いてからの変色を見て楽しむことで、早食いの防止をするプロダクトである。
河原香織 デザイナー、ITコンサル
神尚孝 医療機器メーカー製品開発エンジニア
尾田悠 医学科1年生
食事を早く食べること、いわゆる早食いを日常的に行うことは、さまざまな健康問題につながる。
早食いは、肥満のリスクを高める。食事の際に満腹感を感じるのに必要な時間は、食事を始めてから約15分かかる1。食事を始めてすぐには満腹感を感じないので、早食いをすると必要以上に食事を摂取してしまい、肥満につながる。また、早食いは急激な糖質の摂取につながり、血糖値の急上昇(血糖値スパイク)を引き起こす2,3。食後の眠気、だるさや頭痛につながり、さらに血糖値スパイクが慢性的に続いてしまうと、糖尿病を発症する可能性も高くなる。
早食いを防止のために、食事中の箸を置く回数を増やし、食事のペースを落とす方法がある4。しかし、箸を置く行動は無意識であることが多く、箸を置く回数を増やせるかは当人の意識次第になってしまう。そのため、箸を置く回数を増やすには、食事中に箸を置くきっかけを意識させることが有効となる。
箸を置く回数を増やす既存のプロダクトとしては、「箸置きダイエットapp」5がある。これは、一定時間箸を持った状態が続くと、アプリからアラートがなり、箸をスマホに置くことを促すアプリである。このアプリはアプリ側がユーザーに対して注意喚起をするため、ユーザーにとっては受動的な動機によって箸を置く手法となっている。
そこで我々は、箸を置くきっかけを作りつつ、箸を置くことをより楽しいものにして、ユーザーが自発的に箸を置きたくなるようなプロダクト「置いて見る箸」を提案する。置いてみる箸は、思わず箸を置きたくなるきっかけ作りによって早食いを防止する機能に加え、ゆっくり食べることで食事の時間を長くすることで食卓をより豊かにしたいという理念も持ったプロダクトである。
置いて見る箸は、主目的である箸を置く回数を増やしつつ、箸を置くことをよりハッピーにするために大きく2つのポイントがある。箸を「置く」きっかけを作る仕組みと、箸を「見て」楽しむデザイン、である。2つのポイントについて以下に詳細を示す。
置いて見る箸は、手の温度で変色する示温素材が箸の心棒に塗られ、虹が描かれた箸である。箸を持ち続け、示温材料が体温まで上昇すると、変色して虹が徐々に消えていき、示温材料が塗布してある心棒のデザインが浮き上がる。箸を置くと、示温材料の温度が室温に下がり、虹色が再発色する。箸の持ち過ぎを、示温材料の変色を通して可視化することで箸を置くきっかけをつくる。
置いて見る箸は、示温材料が塗布された虹柄の箸と太陽の箸置きのセットである。箸を使っていると示温材料の色が変色し、心棒にデザインされた雨模様が浮き上がる。箸を使い続け、雨模様が広がってから、太陽の箸置きに置き、しばらく放置することで再び虹が浮き上がる。この一連の動作は、雨によって虹が隠れ、雨の後に太陽の光によって再び虹ができる天気を表現している。
雨上がりに虹がでて小さな幸せを感じたことのある人は多いのでないかと考えている。この箸を使用するときにこの情景を連想できるので、箸を見て楽しむデザインとなっているのではないかと考えている。
置いて見る箸の実現性を考える上での「手の温度で示温材料が変色するかどうか」と、使い勝手に関わる「変色のスピードの調整」について説明する。
示温材料として株式会社サクラクレパスの「サクラTCカラー」6を使用することで手の温度でも変色可能であると考える。室温が25℃と手の温度が約30℃7を使用環境と考え、株式会社サクラクレパスの技術者に確認したところ、29℃に示温材料の変色点を調整した場合には、25℃(変色0%)から温度が上がるにつれ示温材料の変色が始まり、30℃に達すると約70%の変色や脱色が可能であるとのことだった(技術資料については掲載許可を得ていないので割愛)。示温材料が約70%脱色すれば、色の変化と心棒の模様も視認できると考える。
また、同じ原理で変色する文具9も発売されていることからも、実現性は高いと考えている。
変色スピードをどの程度にするかは、置いて見る箸の使い勝手において重要である。箸を置いた際の変色が遅すぎると待ち時間が長くストレスを感じてしまう。反対に、変色が早すぎると、箸を持った瞬間に変色してしまい、箸を持ち過ぎのアラートとして機能しない。また、変色スピードは置いて見る箸の変色する面積にも関わるので、適切な値を探索する必要がある。
変色のスピードは示温材料の温度変化のスピード、すなわち熱の伝わりやすさによって決まる。示温材料への熱の伝わりやすさは、大きく4つの因子であると考える。示温材料の熱伝導率及び体積、示温材料が塗布される心棒の熱伝道率及び体積である。これら4つの因子によって、示温材料に伝わる熱の速度が決定するので、プロトタイプの作製やシミュレーションによって、最適な素材や値を探索する必要がある。特に心棒の熱伝導率は箸表面の熱電動率への寄与度が大きいと考えるので、熱伝導率を大きくしたければ金属材料やセラミック材料を、熱伝導率を小さくしたい場合に樹脂材料や木材などを適宜選択する。
置いてみる箸の広告ターゲットと使用シーンは以下を想定している。
広告ターゲット:30後半〜40代の子供がいる既婚女性
一般的に早食いの傾向が多いのは男性である9が、早食いをする本人よりも一緒にご飯を食べる人の方が、早食いを解消したい思いが強いのではないかと考えた。「健康のために、パートナーの早食いを解消したい」、「食卓の時間を長くして家族での食事をもっと楽しみたい」と思う既婚女性が多いのではないかと考え、焦点をあてた。
パートナー側も食卓の時間を長くし、家族に対して時間を使うことにポジディブになれるように、子供が生まれて、ある程度仕事の忙しさが落ち着き始める30後半〜40代が良いと考えた。夫婦の年齢差は日本平均で2歳差なので、男女で歳の差は大きくないと考えると、30後半〜40代の子供がいる既婚女性を「置いて見る箸」のターゲットとした。
使用シーン:日々の家庭での食事
ターゲットは、毎日パートナーと一緒にご飯を食べることが多く、日常的な家庭での食事に使うと考えた。
このプロダクトは、箸を持っている時間を可視化する。早食いには、摂食の量・速度という要素があるが、これを食事毎に把握し制御することは難しい。しかしながら早食い改善には、早食いをしていることを知るきっかけが必要である。ユーザーは、箸の色や柄から、ふとした瞬間に早食いの気づきを得ることができる。
また、今回提案した「置いて見る箸」は、食事中に箸を「置いて」「見る」ことで、早食い防止への解決策に繋げた。一方で、この「見る」という行為の対象は、普段の食事では箸自体ではなく食べ物に向けられている。この「置いて見る箸」は、色や柄の変化によって、その視線を動かして箸自体に持っていく。さらに、この箸と箸置きを効果的に組み合わることができれば、「見る」きっかけを後押しできる。箸と箸置きの関係については、今回用いた変色に限らず様々な方法で食事中の視線を集める工夫ができると考えている。
一方で、本来視線の向けられていない箸本体を「置いて見る」可能性、及び「置いて見る」時間には個人差があると予測される。このプロダクトは、箸を「置いてみる」きっかけを作るがその強制力を持たないため、早食い防止の効果をさらに高めるには別の要因を付加する必要があると考えている。
今回は、30〜40代の家庭を想定したプロダクトを提案したが、早食い防止はどの世代にも当てはまる健康習慣である。特に、高齢者の誤嚥防止のための摂食スピード調節にも応用が期待できる。日本では高齢化に伴い、今後さらに誤嚥防止のための解決策やプロダクトの需要が増加すると推察する。