スマートフォンの普及とともに、歩きながらスマートフォンを操作する「歩きスマホ」の関連事故が増加している。警視庁の発表によると、平成25年から平成29年の5年間に「歩きながら」あるいは「自転車に乗りながら」などのスマホ操作で起こった事故で救急搬送された人の数は199人、平成30年度には2790件もの歩きスマホ事故が発生しており、そのうち死亡数は42件にものぼる。また、歩きスマホによる有効視野の縮小や情報処理速度の低下が報告されており、その危険性の高さが示されている。携帯電話大手や鉄道事業者などは歩きスマホの防止をポスター等で呼び掛けているが、事故件数は増加傾向にある。そこで我々は、接触や踏み外しが起きる前に光による視線誘導でスマートフォン画面から一瞬でも視線を外させることで、人同士の接触事故を減少させるような環境設計を検討した。考案したのは、駅構内や商業施設などで鏡を利用することで、歩行者の視線誘導並びに停止を促し、歩きスマホによる接触事故率を減少させるための「Look Up Mirror」である。これは鏡とライトを用いて床に光を反射させる設計で、曲がり角などの接触事故が生じやすい場所での遠距離からの認知と、接近時の下方向からの認知を同時に実現させる。また設置する場所は、通勤通学などにより通行が習慣化された道になることも考慮し、ポスター等の広告表現を避け、単純に歩行者の動きを止めるだけではなく、その鏡を見ることで心理的にポジティブな効果が発揮されるものを目指した。臨床では鏡を用いたアプローチは数多く報告されており、例えばスマホ首、摂食障害含む精神疾患などにおいて鏡を用いてアプローチできる可能性がある。このように本案の「Look Up Mirror」に限らず街中に鏡を応用できる可能性は大きく、それにより解決される問題点も多々あると考えられる。
西山 真美 Masami Nishiyama 東北大学大学院医学系研究科修士課程二年。
後藤 咲希 Saki Goto リハビリ病院で言語聴覚士として在籍。TDPでは、グラフィック&DTPデザインコースを受講中。
山中 たみ Tami Yamanaka 建材メーカーにて商品企画に従事。TDPでは商空間プロフェッショナルコースを受講。
小川 拓未 Takumi Ogawa 商社系列のデジタルエージェンシーにPMとして在籍。TDPではUI/UX、Webディレクションを専攻。
スマートフォン(スマホ)の普及とともに、歩行中にスマホを操作する「歩きスマホ」に関連する事故が増加し社会問題とされています。警視庁の発表によると、平成25年から平成29年の5年間で救急搬送された人の数は199人、平成30年度には2790件ものスマホ事故が発生しており、そのうち死亡数は42件にものぼるとされています1。JR東日本、西日本などの鉄道事業者20社やNTTドコモ、KDDI、ソフトバンクの携帯電話大手3社など多くの鉄道会社・企業が「歩きスマホ防止キャンペーン」を実施していますが事故件数は依然として増加傾向のままです。
実際、歩きスマホ中の歩行者の視線は水平方向かつ狭い範囲になる2ことに加え、通常歩行時と比較して約95%もの有効視野が失われ、注意力や情報処理速度が低下し、周囲の状況を認知しにくいという危険性の高い状態である3ことが示されています。また、明治大学が全年齢男女 110 人にネット利用・歩きスマホに関するアンケートを実施したところ、103人(93%)が歩きスマホを危険と感じているが「ただ歩くだけでは時間が勿体ない」「時間を有効に使いたい」と感じていることが報告されています4。すなわち多くの人々が歩きスマホを危険だと意識しているにも関わらず、歩きスマホを実行し、それに起因する事故が多発している現状です。SNSやLINE、アプリなどインターネットを多く利用し、スマホに密接した生活をしている現代社会において、歩きスマホ自体を根本的に辞めさせる方法は難しいと考えました。
一方で興味深いことに、歩きスマホをしてしまう環境条件を調査したところ、「人通りが多い・天気が雨である・歩車分離道路でない」条件下では使用率が下がることが報告されています5。この事実から我々は、人々は歩行時、自身の移動先と周辺状況における見通しの悪さや道の安全性等を考慮し、常時危険性を把握・予測しながら、無意識下でスマホの利用を判断しているのではないかと考えました。近しいものとして、高齢者や脳卒中片麻痺者の下向き歩行において、遠方の環境情報が得られない条件下では最適な回避行動を選択することが難しくなることが確認されている他、人々は歩行時に遠方より視覚情報から危険を予見し、歩行や体幹を瞬時にキャリブレーションしながら危険を回避するという研究結果が報告されています6。実際に、我々も駅構内などで一度も遠方に視線を送らず、常にスマホだけを見て目的地まで移動することが出来るか試みたところ、一定時間ごとに遠方の周辺状況を確認しながら歩行した場合と比べ歩行は相当困難であり、危険予測の精度が落ちることが分かりました。つまり歩きスマホをしている人も、常時スマホを見ている訳ではなく、遠距離の環境情報を確認していると考えられます。
そこで我々は、遠距離から存在を認知させられること、接近時には下向き水平方向かつ狭い視野でも存在を認知させ、かつその存在へ視線を誘導出来ること、誘導し存在を視野に入れた後、一定時間自然に人の動きを止められるという3つの要件を満たす環境を用意することで、歩きスマホ時の接触事故率を減少させることが出来るのではないかという仮説を立てました。また、日々の生活においては通勤や通学のように、特定の道を何度も通ることが考えられるため、「やめましょう、歩きスマホ」というポスターのような一方通行な広告的表現は避け、その存在を把握し把握しているからこそ見てしまうという実用性と、見た後に何かしら精神的にポジティブになれる要素を付与することを目的として、駅構内や公共の場に設置する「Look Up Mirror」を考案しました。“Look Up"には「見上げる、目を上げる」という意味と「上を向く、元気を出す」という二つの意味を込めています。
駅構内、商業施設といった人通りが多く接触事故が生じやすい場所の壁や柱に「Look Up Mirror」を設置し、「Look Up Mirror」にライトを照射することで歩行者の足もとに反射光を映します。全身が映るように姿見のサイズとし、明るい室内でも反射光が目立つように、角度と照射までの距離を比較的調整しやすいスポットライトを使用します。また、鏡を見た際に反射光が眩しくならないよう、ライトの色や光源の強さを場所によって適宜調整します。
遠くから前方へ視線を送る際に、反射光の存在に気付いたり、周囲の人々が反射光や「Look Up Mirror」を見ている姿を確認したりする事で、その周辺に「何か」があることを認識させます。スマホに集中して遠方で人々の存在に気づかない場合でも、「Look Up Mirror」接近時に足元に照らされる反射光の存在を認知することが可能です。これは、歩きスマホ中の中心視野が下向き水平方向であることと、人間の基本特性として「明暗差(コントラスト)の高いもの・明るいもの・点滅するもの」などに視線が向いてしまうこと、さらに無意識でも視線が動き確認行動をとってしまうこと7から、足もとへの反射光は下向き歩行時のアイキャッチとして十分に機能するという考えによるものです。スマホから鏡の方へ自然に視線誘導し、少しの時間でも鏡の前で立ち止まる瞬間を作ることで、周りの環境を把握し、前方や曲がり角から歩いてくる人の存在を認識出来るようにします。それにより、歩きスマホによる接触事故の発生率を減少させることができると考えられます。
また、鏡には自身を客観視し苛立ちや不安感・緊張など自分の気持ちを冷静にコントロールするメタ認知の効果があるとされています8。実際に、メタ認知が高い程、ネガティブな感情になりにくく抑うつが悪化しにくい研究結果があります9。そうした効果と併せ、鏡面には、「自信がなくなったら鏡を見なさい」など、前向きになれるメッセージを記すことで、鏡を見た後に精神的にポジティブに変容させる狙いがあります。
本案ではあえて歩きスマホの禁止を直接的に訴えず、自然な視線誘導による事故防止を目的としています。また、現在駅構内では、新型コロナウイルスによる影響も相まって壁面広告や車内広告が減少している状態です。これらのスペースに「Look Up Mirror」を設置することで歩きスマホによる事故率減少に再活用できることは鉄道事業者にとってもメリットの一つであると考えられます。
今回、鏡の反射効果を利用し歩きスマホ防止に対するアプローチを提案しましたが、海外には鏡を用いた広告例が数多く見受けられる他、その他鏡を使用した行動変容について多くの研究がされています。
例えば、Costanza Scaffidi Abbateらによると、鏡で自身の姿を視認することで正しい行動の基準と見なされている行動が促進されると報告されています10。また、脳卒中後のリハビリテーション11や摂食障害といった精神疾患12に対する鏡を用いた臨床アプローチは数多く報告されており、自己の身体的特徴に焦点を当てた応用が有用と考えられます。本案の歩きスマホ事故減少から派生させて考えるならば、スマホ使用時や歩行時の姿勢の悪さを自身で気付くようなことで健康面にもアプローチをすることが可能と思われます。
このように「Look Up Mirror」に限らず街中に鏡を応用できる可能性は大きく、それにより解決される問題点も多々あると考えられます。
警視庁(2018) 携帯電話使用等に係る交通事故発生状況 ↩︎
尾林 史章ら(2019)「駅ホーム上歩行中におけるスマートフォン使用時の視線特性」 ↩︎
明治大学商学部 第46回奨学論文「歩きスマホの考察とその撲滅政策提案 A proposal to the eradication policy of walking smartphone 」 ↩︎
辻 陽介ら(2014)「環境条件に応じた歩きスマホのリスク意識と行動分析」 ↩︎
樋口 貴広(2015)「歩行の視覚運動制御」 ↩︎
[リメンズ「100円の鏡で人生が変わる!?メタ認知で自分をコントロールする方法」]https://re-mens.com/8255/ ↩︎
村山 恭朗ら(2012)「メタ認知的知覚がもたらすネガティブな認知の反応性への効果」The Japanese Journal of Health Psychology 25(2), 10–18. ↩︎
Costanza Scaffidi Abbate et al. (2010)「A Field Experiment on Perspective-Taking, Helping, and Self-Awareness」 Basic and Applied Social Psychology 28(3), 283-287 ↩︎
Holm Thieme et al. (2018)「Mirror therapy for improving motor function after stroke」Cochrane Database of Systematic Reviews, Issue7. Art.No.:CD008449. ↩︎
Trevor C Griffen et al. (2018)「Mirror exposure therapy for body image disturbances and eating disorders:A review」_Clinical Psychology Review _65, 163-174. ↩︎